■終戦記念日にあわせて
終戦81年、といいますか昭和元禄と呼ばれた平和な時代から数えても61年を経まして、いよいよ日本の平和な時代の長期化ということに安堵し平和を祝うとともに、しかし、周辺情勢の緊迫化は地域安定への微妙な影響が連鎖し、これが連鎖反応的に有事、というものに直面しないか、不安はある時代となりました。

不安とはいえ平和について、また終戦記念日に併せ毎回示している、手段としての平和と結果としての平和をどう認識すべきなのか、現行憲法は手段としての平和を求める内容となっていますが、それが平和的生存権という結果としての平和に帰結するのか、と言う問題について結論を未だに出すことができていません。

平和憲法制定から80年、手段としての平和は微妙な状況、危うい状況の綱渡りを継続する中で存続しているという状況です。これは、破綻が見えている状況を、看過することで維持されている一方、周辺情勢へ泥縄的に合わせるための決定、修正の連続が、果たして限界はないのか、と言う不安とともに、憲法のありかたを考えてしまうのですね。

政治が責任を持つ。制度上は、政治責任という言葉で看過されている、それが一種の、このままでいいのか、という危機感に収斂して行くのかも知れません。最後の時は政治が責任を持つ、かつて政治家が制服組を納得させた言葉ですが、なにしろその政治家を選んでいるのは国民、つまり国民が責任を取らねばならないということなのですから。

自衛隊の任務は作戦の遂行であり、戦争そのものは国家の政治の延長である。この原則に立てば、有事の際にどういった戦争を国家が想定するかは民主主義国である我が国では、政府が選挙民に選ばれて、そのうえで画定するものです。選挙に行こうの常套句ですが、結局、国民は無投票を含め与えられた選挙権を棄権しても責任からは逃れられません。

民主主義における民意は無限で有り、その主権者の決断は憲法さえ改正しうるものですが、逆に言えば主権者が認識を持たなければ、どういった戦争を行うかということも選択肢が時間とともに消えて行きます。時間、これだけは万民に与えられた平等なものですが、時間と共にその選択肢というものは消えてゆくという事は、いずれ突き付けられる。

時間が減れば選択肢は減る。例えば、受験勉強、例えば、進路選択、例えば、就職活動、例えば、資格試験、例えば、転職先、例えば、と物事に共通しているのは、時間を空費すればするだけ選択肢が狭まるところでして、入試を例に挙げれば、共通テストに間に合うように対策を採るか、後手に回るかで本当に選択肢は減ってしまいます。

戦争についても、時間というものは不可分というものでして、開戦前であれば、予防外交、抑止力、同盟条約、防衛力整備、これにより戦争を回避することも含め選択肢は無限に広がりますが、いったん、攻められてしまえば、本土決戦で内陸誘致か水際防衛か、くらいしか選択肢が与えられません。

故に、始まる前に、平和を手段として用いるのか、平和を結果としてもとめるのか、ここが先ず、肝要になるのです。ただ、政治にどれだけ時間をかけているかという事を考えますと、余暇が少ない昨今、その余暇を敢えて政治勉強会など、政党に入党するなど限界がある、その為、主権者としての権力行使を時間選択の中の下位に置く現実があるのですね。

一国平和主義を突き詰めすぎた。この、時間という視点から考えますと、平和憲法制定から80年、それは平和を手段として用いる時代が80年続いた事によるものですが、集団的自衛権の行使と保持をわけ、その前には、そもそも日米同盟は軍事同盟なのかという原則論まで昭和後期には議論され、首相の口からしめされたほどですので、厳しい。

周辺国と防衛協力をおこなうという選択肢を最初から省いてきました。それが、日本を戦争に巻き込ませなかったのだ、と、成果を強調する声があるのかも知れませんが、それは同時に、有事の際に助けてくれる同盟国が、太平洋の向こう側にしか存在しないという厳しい現実の裏返しで有り、それがいまの平和を維持する選択肢を狭めてしまった。

手段としての平和の限界を超えた際に、選択肢は本土決戦しか残らない、という状況になります。陸上自衛隊の機械化部隊重視論などを、提唱しますと、本土決戦主義、こう揶揄されたことは意外と多いのですが、現行憲法では本土決戦しか選択肢として認められていません。

本土決戦が、それしか選択肢を持たない現行憲法なのですが、果たして平和の理想形なのか。平和が破綻するまで打つ手なしという猶予を経ての専守防衛、本土決戦主義、云うほど平和なのかとわたしは敢えて問いたいのですが、それはわたしが沖縄戦や硫黄島、サイパン攻防戦についてある程度学んだためなのかも知れません。

沖縄戦や硫黄島、サイパン攻防戦、専守防衛が理想とするのは手段としての平和であり、結果的に悲惨な状況に陥る直前に上を打とうとしても時間が非常に限られる、すると、沖縄戦や硫黄島、サイパン攻防戦の再来とならざるを得ない。けれども、それは平和なのか、同じ事実を前にしても結論は異なる、という一例なのでしょうか。

政治が責任を持つ。1976年に我が国が初めて防衛計画の大綱を制定した際、小規模有事のみ独力対処するという指針が示され、初期母児隊への独力対処という官僚用語が成立した際、当時の鮫島統幕議長をひっとうに、これでは防衛の責任が持てないと反論したところ、そのさいは政治が責任を取る、として山中長官が政治責任という言葉を使った。

山中長官が政治責任という言葉を使い、説得したため、政治が責任を取ると言われては防衛当局としてはそれ以上踏み込むことが出来ないという実感だったと回顧の際に言葉を残されています。なにかあって国土が戦場となり爆撃砲撃殲滅戦で国民が大変なことになってもそれは自衛隊の責任では無く政治家が責任を取るので大丈夫、ということ。

しかし、奇襲対処などについては、その整備が不十分であったという認識でしょうか、鮫島統幕議長の後任となった栗栖統幕議長は、それでは自衛隊は責任をとれない、という発言を行い、いわゆる超法規発言、栗栖発言として当時の金丸防衛庁長官により、統幕議長が更迭される騒ぎとなりました。

栗栖統幕議長の後任の高品統幕議長は陸将ですので、これを統幕は不祥事と認識していないという強い意思の表れとも今日、歴史として振りかえる際に考えさせられるのですが、いうなれば、鮫島栗栖時代の、宿題というべき防衛上の課題、ほんとうに政治が責任をとれるのかという現実は今日にも重くのし掛かっています。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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