北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室&鞍馬研究室,2005年7月29日創設の防衛安全保障専門Weblog

【京都幕間旅情】相国寺,災害と復興と日本人の日本人たる定義

■十年の造営と二年後の焼け跡

相国寺、伽藍の造営には先ず十年掛かったという。

もう十年になりますか、熊本地震の際に熊本城が被災して、流石は加藤清正の五層櫓は無事、と天正地震を経験して独自の耐震工法を研究した桃山時代末期の造営は凄い、と思ったものの。

明治時代の陸軍による補修箇所を中心にガタガタに破壊された結果、復興にはまず十年、そして次の十年を経なければ完全に直せない、という話が出た際に、それならばそのまま放置しては、と言う市井の意見が。

熊本県内では殆ど無かったようですが、極論の一つとして、全国的に、それが運命、と諦めろというような口調があったことに驚いた。そういうひとは、子供が重い病気になっても入院させずにその夜に子作りでもして次の子供に期待しそうで恐くなった。

そう、この手の建築物は時間が掛かるのですが、相国寺も造営のさいに十年で一段落して、足利義満さんもニッコリ、というところで二年後の応永年間に火事があって、伽藍は早々と全焼してしまいます。

この際に住持は職を辞する、というか、かわってしまいまして、どうやって居なくなったのかに興味は湧くのですがそれはさておき、まえの住持、空谷明応が足利義満に請われて復帰し、伽藍の再興を任されることとなりました。

この際は、ある程度建築資材に余裕があったのか設計に経験があったのか、仏殿と開山堂は翌年には復興したという、その翌年には法堂が再建される。火災は、人災といいますか、少なくとも落雷による火災ではなく不始末だったようなのですが。

そう、日本は災害が多い。わたしは、日本人の定義は、と問われて、日本語を話せるとか日本文化に精通とかいう答えを聞く度に、そうなると一部の連中は駄目じゃないかとおもいつつ、実際の所は、どうだろう、と考えてみる。

災害のデパートのような日本の国土に愛想を尽かさず一緒に永らく生きていることではないのかなあ、と思うのですよね。災害が多い分、まわりは海ですので攻めるのが難しい、ミサイルは飛んでくるが。

海という緩衝地帯があるのでミサイル防衛という選択肢がある。大事なのは復興のための熱意だろう、と思うのですよね。そう、熊本城はもう少し時間が掛かりそうですが、相国寺のほうは火災から六年後、すごいことに。

七重大塔という高さ109mの、つまり東寺の五重塔の倍ある堂宇が完成しています。まあ、こっちのほうは落雷で四年後に焼失しているのですが、京都タワーにちかい建てものさえ復興で打ち立てた。

時間は掛かるが、復興への熱意、こういうもので日本は、大きくなってきたのだ、とおもいますと、熊本城は、こっちも復興することは街の象徴的な建物で有ると思うし、そのまわりも復興とともに成長させることのほうが寛容なのだろう、と考えてしまうのだ。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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