北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室&鞍馬研究室,2005年7月29日創設の防衛安全保障専門Weblog

【京都幕間旅情】智積院,根来寺塔頭智積院の歴史と現代史への深い教訓

■歴史の教訓は京都から

アメリカイラン戦争、停戦へ。

いったい何のための戦争だったのか、とはBBCの評論でありましたが、実際、イランに、“ホルムズ海峡は閉鎖し得る”という実績を教えたのみ、結果的に最後まで戦場に立っていた側が勝ち。

諸業務上、諸行無常と打ってこう出てくるあたり、わたしも附かれているなあ、と思いつつ、第三次石油危機の根競べは中東の大河なる歴史とアメリカの形式的自由主義の戦いで、諸業務上オイルショック困る、とアメリカがひいたかたち。

智積院、京都は古刹も多いのですけれども観光過多叫ばれる昨今、できればそういうところは避けてゆきたいところで、それでいて情緒のあるところ、といいますと、多いのですが。ふと、このいまの時事を語るうえで、ここがある、と。

慶長6年こと1601年の寺院、そう、京都に在っては比較的新しい寺院です、けれどもこの一角が歴史にあふれている、といえるところなのでして。そして感慨深い歴史を持つ寺院でもある。

根来寺、もともとはあの根来衆の根来寺、その塔頭寺院であったのですね。その寺院の歴史は空海さんの真言宗、その系譜にありまして、覚鑁さんが大治5年こと西暦1130年に高野山に創建したところ。

東山区東大路通七条下ル東瓦町、この寺院がありますところはもう、京都駅の近くなのです。そして東山区とありますとおり、そうこの界隈、豊国神社のある、太閤さん所縁の一角となっている。

紀伊国根来、つまるところ和歌山県岩出市根来の根来衆ですが、豊臣秀吉と対立し、天正13年こと西暦1585年、秀吉は10万の兵力を以て根来攻めに当たります、その結果、2700あった堂宇はことごとく。

玄宥さんが智積院の学僧さんは、なにしろ根来寺は当時、物凄い数の経典以上に武器鉄砲刀槍薙刀弓矢をもっていましたので、徹底抗戦が不可避、だから開戦直前に高野山に脱出した。

高野山、粉河寺、根来寺、熊野三山、雑賀衆、当時紀州はこんなかんじの仏教一大拠点となっていまして、ひとつは熊野本宮大社と熊野速玉大社と熊野那智大社の過去・現在・未来が混じっていますが、独特の文化が在った。

智積院の玄宥さん、うまれは下野国なのですが、根来寺で修行の後、南都、園城寺、延暦寺で諸宗の教学を学んだのち、根来攻めののち、高雄山神護寺や醍醐寺三宝院に身を寄せていたという。なかなか、豊臣秀吉と和解は出来なかった。

しかし、時は巡るものでして、慶長5年こと1600年、豊臣秀吉没後、徳川家康が智積院再興を許可しまして、そして関ヶ原会戦に勝利すると、豊国神社の一部を寺領として寄進したのですね。

第三次石油危機の根競べは中東の大河なる歴史とアメリカの形式的自由主義の戦い、前述しましたが、どの時代も、生き残って逃げ回るとひられることがある、もっとも生き残ることも難しい時代なのですが、考えさせられたのです。

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