出雲大社はこの出雲の地が神話と神秘の地ゆえにその歴史の妙を湛え散策と思考探究の奥深さは関心の度合いが尽きません。

出雲大社、山陰地方の歴史には不思議が多く不思議には出雲大社そのものも含まれます。創建当時の本殿は高さが45mとも96mとも呼ばれ、平安遷都に際しての行政中枢である平安京大極殿よりも高さでは上回ったとされます。巨木の束を用いたというが凄いと思う。

出雲大社注連縄。神楽殿に張られましたこの注連縄は長さで13mあり破風9mに結界を示し重さ実に5t、こういうものを見上げますと、山陰の巨木、製鉄の燃料や建築資材により恰もかのレバノン杉の様に消えてしまいましたが、高層の本殿、想像できてしまいますね。

七重塔、もっとも室町時代には相国寺七重塔の107mを筆頭により高い木造高層建築物が存在した故に驚く程ではないのだが。こうした巨大建築物の背景には天照大神と大国主命との国譲りの神事が挙げられるのですが、神話になる程に当時当地は栄えていた事になる。

国譲りの神事は神話の話だろう、と反論されるかもしれませんが、神武天皇天孫降臨の神話は大陸からの日本列島への定着と今日に至る日本国家の成立ち、朝廷という制度が定着するまでの流れと共に国譲りの神事を重ねますと、国家制度形成まで成立ちと重なります。

荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡、妻木晩田遺跡や竹ヶ崎遺跡と柳遺跡、出雲市周辺には遺跡が多く、例外なく勾玉とそして鉄器など金属を大量に産出しています。これは日本海沿岸の大陸の交易を示すと共に、中国山地には初期の製鉄所、野たたら遺構も見つかっています。

日本海側を散策してみますと製鉄の神を祀る神社など、考えてみると古代出雲地方の製鉄が日本海沿岸に沿って物流が醸成されていたと考えさせるものもありまして、出雲大社創建の頃、この地方の我が国における位置づけには興味が尽きません。まだまだ謎は、多い。

八雲山。出雲大社に隣接して聖地として八雲山という、標高424mの山が聳えていまして、ここが出雲大社にとって御神体の様に、宇迦之魂神を祀る伏見稲荷大社の稲荷山のように奉じられています。歴史を湛える聖地ですが今も禁足地であり神秘の帷は纏われたまま。

社殿群、出雲大社本殿はその周囲を社殿群が囲むように奉じている情景が独特の風情を醸し出しています。本殿の建物がひときわ高く、そして切妻造社殿としまして摂社神魂伊能知比売神社本殿と摂社大神大后神社本殿とがこう独特の威容を幾何学文様に構成している。

瑞垣内、出雲大社は本殿の周りに神社を配置する構図の様式となっていまして、御向社に大神大后神社が大国主正后須勢理毘賣命を祀り、天前社の伊能知比賣神社が大国主命医侍の蚶貝比賣命と蛤貝比賣命を、筑紫社に神魂御子神社が大国主の妻で多紀理毘賣命を祀る。

廻廊八足門内の両側に門神社として本殿を守護する宇治神と久多美神が祀られ奉護しています。更には本殿瑞垣外として八雲山と本殿の間に出雲神社が大国主命の父たる素戔嗚尊を祀る。そして氏社に出雲国造家祖神の天穂日命と宮向宿彌が祀られ本殿を囲む位置に。

素戔嗚尊の子の宇迦之魂神も釜社に祀られ、また神無月こと出雲の神在月に八百万神が集う十九社が東西に配置、神在祭に際して日本全国から集う神々の御旅所となります。出雲大社ではこの本殿瑞垣外がぐるり本殿の周りに集い巡らす内側を、境内と呼ぶのですね。

四隅突出型墳丘墓、不思議に思ったのは山陰地方から北陸地方に掛け散見される古墳、前方後円墳とは明らかに異なる出雲地方を中心に分布する古墳の中央を護るが如くの形状と、この出雲大社の本殿を囲む社殿群の構図が似ているようにも思えてくるのです、興味深い。

御客座五神としまして、天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神、宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神、五柱が守る本殿は皇族でも立ち入る事が出来ないしきたりがあるという。もっとも天照大神と大国主命、伊勢神宮と出雲大社の関係を考えれば納得できますが。

出雲市、出雲大社は広々としました境内の神域にこう、神々しさを感じるところですが、なによりも出雲市という市町村単位で大きな社殿、大社を奉じているという現代の行政単位にも信仰のようなものを感じるところでした。出雲大社、奥深くそして、感慨深い。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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